
新あっちこっち日記
2002年7月号
7月は札幌へ行くこと2回、DPI世界会議の早割り登録期間の終了を控え、札幌組織委員会事務局は忙しく動いていることが雰囲気で伝わってきます。
北海道教育大で養護教員を目指している1年生対象の授業を受け持ちました。札幌市内にあるのですが、藍染めの藍を栽培していることから、あいの里と名前のついた地域は、牧歌的で、いつも通っている札幌の風景とはずいぶん違うカナダを思わせる風がそよいでいました。同じ札幌?同じ日本?新たな北海道の魅力を感じました。
また二度目の北海道では、東京から修学旅行で来た高校生とともに車いすでバリアチェックをして歩きました。狸小路のミスタードーナツのお店のドアで悪戦苦闘し、店先に急なスロープがあるお団子屋さんで、「体の不自由な人の気持ちがわかったでしょう?」とお店のおばさんに言われてなんとも言えない複雑な表情をしたのは、彼女だけでなく、そんなこと言うのだったら使いやすくしてよと心の声が私の中でも叫んでいました。この高校生の中には卒業と同時に二級ヘルパーの資格が得られるコースをとっている人もいて、車いすの操作がなれている人もいて、感想を出し合ったときは、短時間にもかかわらず、私たちが感じてほしいことをしっかり言葉にしてくれていました。最後にDPI世界会議のことを伝えて、事務局をのぞいて、次の目的地にバスでむかいました。当初、集合場所で会った時はなんとも驚いたというのが正直な気持ちでした。いろんな制服を着ていて、お化粧ばっちり、ヘアカラーいろいろ、超短いスカートなどの彼女たち。自分らしさを見つけたい、人と違う自分を表現することになれているからこそ、素直な視点をもっているって感じました。
DPI世界会議に向けての常任委員会もこの時期に札幌で開かれ、会場となる『きたえーる』で会場を見て回ったり、真剣な討議をしました。ちょうど早割り期間の最終日の前日で、登録は作業が追いつかず、うれしい悲鳴(?)をあげて、ファックスもメールもパンク状態という報告が入りました。
一方、招請のためのお金集めは難航しており、名刺シール(1シート500円で50枚の名刺に貼る、大会シンボル)の販売の徹底や、さまざまな団体への要請の徹底など課題がたくさんあり、プログラムの中身作りとの両方で、日本会議事務局はこれ。また、パンク寸前の状態です。何とかこの暑い夏を乗り切って実りの秋を迎えるために、みんな体をこわさないよう、力を結集していかなくては、とちょっと悲壮観がみなぎっている今日このごろです。
アメリカに行ってきました報告
前回お知らせした、6月22日に亡くなられたジャスティンダート氏のお別れ会が、ワシントンDCの教会でもたれました。夫とともに三泊5日という強行スケジュールで、参加してきました。
今、帰りの飛行機の中で、この報告をまとめています。
会場となった教会は、リンカーン大統領がよく礼拝に行っていたことや、マーチンルーサーキング牧師がよくお説教に立ったことでも有名な歴史的な教会です。
雨の降る、あいにくの天候でしたが、600人近い人で埋め尽くされました。ジャスティンダート氏の遺骨が入った棺にはアメリカ国旗がかけられ、ADAの調印式に立ち合った写真などの記念品が飾られていましたが、それ以外はADAの記念式典の要素が大きいものでした。テレビクルーも3社入って、ブッシュ大統領の代理で、労働大臣が、そしてクリントン前大統領も最後まで列席されていたのは、ダートさんの功績です。
夕方からは、ユニオンステーションでパーティが開かれ、千人を越える人たちが集まって、いろんな人たちのスピーチや歌、そしておいしい食事とダンスで夜更けまでにぎわいました。
私がダートさんのそばで日米協議会の準備や、さまざまなことを教えていただいていた頃も、みんながおいしそうに食べているのを見るのが好きだったダートさんを思い出しました。
この日は全国各地で記念式典が行われているにもかかわらず、たくさんのアメリカの主だった障害者リーダーの懐かしい顔や、NCILや自立生活グローバル会議等で、ともに運動を広げてきたリーダーたちにも一挙に会うことができました。
今回の会に参加するにあたって、ダート夫人がすばらしい宿を紹介してくださったことも、私たちにはラッキーでした。というのはエバンケンプ氏()の残されたアパートが「障害者権利センター」になっており、そこにとめてもらったのですが、そこの管理をしているトム・オー・リン氏が障害者運動の写真をとりつづけている写真家で、アメリカのすべての障害者を知っているというような人材の宝庫のような人だったからです。ダートさんがいつも言われていた「すべてに人の正義を」の歴史的な流れや、DPI世界会議に参加を要請している、まだ会ったこともなかった、ぜひコンタクトしたいと思っていた人が会場にくるか、といった情報まで得ることができて、最高のステイ先でした。
また、日本から会に参加されたダート夫人の甥ごさんが、アメリカでジョブコーチをしっかり学んだ貴重な人材だということも、日本にもこんな人材がいるんだということが知れてよかったです。
ちょっとミーハーな私発見
クリントン前大統領はちょうど私のところから横顔がしっかり見える位置の、いつもリンカーン大統領が座っていたというそこだけ別作りの特別席に座っていました。会が終わった後、たくさんの人に囲まれて、握手したり、写真をとったり、長時間いました。私もしっかり近づいていき、今日の記念誌を差し出したらアメリカ国旗のそばにサインをして返してくれました。
FDR(Franklin Delano Roosevelt)メモリアルに行ってきたよ
ルーズベルト大統領記念公園に行って来ました
'99年にワシントンDCで開かれた自立生活グロ−バルサミットに出席した時に、友人に連れて行ってもらって、今回は二度目の訪問でした。
ルーズベルト大統領は、成人してからポリオにかかり、足が不自由で車いすを使用していたにもかかわらず、記念の像は大きなマントを着て、いすに座っているもので、重厚な感じのいすに小さなキャスターがついているだけで、その意味を知っている人にしかわからないものでした。
大統領自身が歩けない自分を報道されることを嫌い、常に両側の人に支えられながら、立った姿で人の前に出ていて、車いすに乗っている写真は二枚しか残っていないのだそうです。
このメモリアルができる当初から、障害者団体が「車いすの大統領に誇りを」とキャンペーンを繰り広げ、車いすに乗った大統領の銅像を造るという約束を大統領と交わし、広く市民からの寄付を求めたのでした。
その後どうなったのかなと思って夫と共に行ってきました。なんと、入り口の最初の像が車いすに乗ったルーズベルト大統領になっていました。そばにできたインフォメーションセンターの中に実物大の車いすの展示がありました。
木製の食堂のいすを利用して前輪を大きく、後輪を小さくできるだけコンパクトに、車いすが車いすであることを主張しないように作られたような印象を受けました。でも、とにかく車いすに乗った大統領がこの国にいたんだということをしっかりと表現していました。
ここは100パーセントバリアフリーで、壁面には、点字(意味のあるものにはなってないらしいが)のディスプレーもあり、すごいなと思っていたのですが、新しく作られたルーズベルト像の後ろの壁にも点字が描かれていました。これはふれられる高さではなかったのですが、描かれている英文と同じものでしょう。
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