司会者
それでは、前半最後のスピーカーになります。
日本の女性障害者への性的虐待の、もっとも象徴的なものとしてある子宮摘出手術の現状を中心に、ひぐち恵子さんに話してもらいます。
● 障害は私の大切な個性
★ ひぐち恵子(DPI女性障害者ネットワーク)
こんにちは。私はまず、自分の体験からお話します。
私は1歳半で障害をもち、でも地域でふつうに暮らしてきました。でも中学生になって、障害が再発したので施設に入り、3年間寝たきりの思春期を過ごしました。
私は動けていた自分と、施設に入って寝たきりになった自分のことを何のちがいもないと思っていました。だけど寝たきりになって自分のことを何もできなくなったときに、自分が自分であってはいけないんだと思わされました。そして私は「すみません、ごめんなさい、ありがとう」この3つの言葉だけを使って、生き延びてきました。
私をそういうふうに貝にさせて黙らせたのは、やはり診察の場面とか、いろいろなところで、私は人間ではないんだ、女性じゃないんだ、物体なんだ、障害というものをもった物体なんだという思いからでした。
診察室で、私が裸になって診察を待っているときに、突然に、十何人もの若い男の人が部屋に入ってきて、そしてその人たちはインターンということで私のからだをジロジロ見つめ、ドイツ語で議論し、私がそこでどんな思いをして耐えているのかも考えもせずに、ただただ障害をもった物体を見るように私を見下げていました。そんななかで私はただ生き延びるために、考えること、感じることを捨ててしまいました。そのことは、重い障害をもって生きつづけなければならない、うららや美和を、私のなかで恐れを持って見つめた原因だと思います。
私のいた施設では、子宮摘出をしなさいとは特に言ってませんでした。でも、自分でトイレができない友達は、生理が始まったとき、「もう、取っちゃったほうがいいんじゃない?」と言われ、泣いて、自分でトイレの世話ができるまで、何度も泣きながら練習をして、何時間もかけてできるようになったという話を聞きました。でも友達の話では、職員の人は、(彼女が一人でできるようになったのを知らずに)周りの人が誰か手伝っているんじゃないかと思い、手伝うんじゃない、と言っていたそうです。
そんななかで彼女は生き抜いて、いまは子どもを産んで地域の中で暮らしています。
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いま、私たち自己主張できる障害者にとって、子宮摘出はそんなに顕在化していません。しかし、隠れたところで「周りの人が迷惑なので、あなたは自主的にそうした方がいいのよ」というプレッシャーは、常に存在しています。
2年前の6月に新聞のニュースで、施設に暮らす知的障害の女性の子宮摘出問題が暴露されました。
手術をした大学教授はハッキリと、彼女の子宮を取った、それは病気だからでなく、彼女が生理の前後に不安定になるということで、治療として摘出したと言っていました。そして「これは人権侵害ではないのか」という記者の質問に対して、その教授は「社会が迷惑だと思えば、治療する対象である」という言い方で、自分の行為を正当化していました。
その数年前にも、全国の療護施設の職員会議で、「生理時に不安定になる知的障害者の子宮摘出手術をしたことで、彼女の日常生活がとてもよくなった」という報告があったと聞いています。
こういうケースで、子宮を取ることを誰が決めるのかというと、障害者の両親、医師、施設で決められます。本人にはなにも決定権がないのです。私たちは、厚生省に対して、優生保護法はこういうふうに使われていていいのかと抗議しました。
この子宮摘出をしたと、新聞記事に発表したドクターは、そのままなんの制裁を受けることもなく、彼は自分のやったことは正しいと思っているにちがいありません。
現在、このように子宮摘出問題は、自己主張をうまくできない人達に移っていっています。
今日、皆さんのお手元に配ったチラシの一節は、ひとりの知的障害の女性が、「何で私の子宮がそんな形で取られなければいけないのか、私のことは私が決める」と、文章にしてくれたものです。今回これを持ってこれたことは、日本の女性障害者の問題の広がりをつくれたという点で、とても良かったと思っています。そして今日はたくさんの人がこの会場に来てくださって、私たちの問題をシェアーしてくださってよかったなと思っています。
障害をもった女性たちは、今までは、障害の種別によって区切られてしまい、なかなか問題を共有できず、自分に障害のあることが悪いんだと思わされてきました。でも、ひとりの人の生命が、障害のあるなしで、大事なものだとか、なくしたほうがいいとか、そんなことを言う社会のほうが問題なんだということを、いま私たちは皆さんに言うことができます。
このワークショップを持ったことで、障害をもっている女性ももたない女性も、人の生命を障害のあるなしで価値をはかっていくのがよくないんだという共通基盤にたって、これから動いていって、日本のなかで、私たちが生きることを阻む優生保護法をなくすための、うねりにしていく、大きなステージに立てたと思います。
でも私たちのなかにある優生思想というのは、いつも顔を出してしまいます。
知的障害者の会である「仲間の会」が主催した全国会議のなかで、ある女性が、「私、結婚したい。子どもも産みたい。でもお母さんに、もし障害のある子どもができたらどうするの、あなた、子どもの世話ができないでしょう、と言われました」と発言しました。そして彼女たちは、「そうだ、お母さんの言うように自分達は障害のある子を産んだら大変なんだ。だから、私たちは結婚しないほうがいい」と、まるで30年前の私たちと同じような思いを持って、話し合っていました。
「私たちは、障害を持っているよ。だけど、いま楽しんで生きているでしょ。だから、もし、あなたが障害のある子を生んでも、あなた育て方わかるんじゃない? 自分が生きてきたことをその子にしてあげればいいんだから。だから大丈夫だよ」と、私は大きな声で何回も言いました。だけど、その言葉を、ほんとうにたくさんの人が、たくさんの場所で、いろんな人に向かって言わないことには、この自分たちのなかにある優生思想、「早くて、賢くて、物事ができる人たちがすばらしいんだ」という思いから自由になり、「自分を愛する」というふうに変わっていけないのだと思います。
私はいま、障害をもって生きてきてよかったなと思っています。障害をもって生きてきたことが、私をここまでひっぱり、育ててきたと思います。私にとって、障害は私を構成する大切な個性です。
ありがとうございました。
(第4回世界女性会議NGOフォーラム参加報告集 1995.11.28)