障害当事者の側から見た障害者福祉の近況  とうきょうの自治Vol.16 No.26 1997.8.15

 私は自分の存在を意識した時にはすでに障害を持っており、医療とのつながりが多く、痛い、苦しい、嫌な事の多い幼児時代だった。それらが一段落して一年遅れの幼稚園、小学校と進み、中学校になって再発、肢体不自由児施設で三年間の寝たきり生活を送った。
 戦争中に制定された国民優生法は、戦後優生保護法と名を変え、不良な市民の発生を防止する事を第一条の目的に定め、種々の障害名を列挙し、不妊手術や断種を定めてきた。この優生保護法は、経済的な理由などによる人口妊娠中絶に関した規定も合わせ持ったため、障害者にたいする人権侵害であるとして議論はされながらも、'96年6月まで存在した。
 国が障害者の存在を否定する法律を持ってきたわけで、障害者は権利の主体というよりも、問題であり、対策を立てなければならない存在であった。'93年12月に障害者対策基本法から障害者基本法に代わったが、やはり権利法ではなく、暖かい社会の中で、護られる存在としての障害者像から抜け出せてはいない。
 私が優生保護法の存在を知った(本当の意味を理解した)のは、'80年代に入ってからであるが、幼い時からの障害者にたいする視線や、評価などすべて納得できた。だから当然の事として、自分の存在があっていいのか悩まされてきたんだということも・・・。

自立生活運動の原点―障害をパワーだ、エネルギーだ

自分の中で障害をもった自分は、人生の損なくじを引いてしまった。しかし、この体で生きていくしかないという消極的な受容でしかなかった。それでも懸命に障害と共に生きていこうとした自分の決定、リーダーシップは素晴らしいと思えるには随分時間を要した。
 国際障害者年は、障害者が海外の障害者と交流し、自分達の知りたい情報が直接得られるきっかけの、記念すべき年となった。
 自立生活運動のメッカともいうべきバークレー(米、カリフォルニア州)を、障害者と介助ボランティアで訪ねたのは'81年6月だった。ぬけるような青空、交差点を行き合う電動車いすや白杖を持つ人、人の手を借りずにエレベーターで地上から駅のホームへ、ホームと車両の段差はなく安全に乗車できる地下鉄、市内にはリフト付きの循環バス、町のなかには障害者、ストリートピープル(ホームレスの人達)、若者、みんながあたりまえに存在し、あたりまえに生きている、自分以外の障害者にあまり町で会う事がなかった時代の衝撃の一週間であった。
 バークレーでの体験、そして12月にシンガポールで開かれたDPI(Disabled Peoples' International障害者インターナショナル)の世界会議での経験から、障害者の障害とは明らかに社会が作り出すものであるという事を学んだ。社会の障害者にたいする視線や、教育の分野で養護学校に分離されたり、車いす使用者だと利用できない建物や公共交通機関など、不利益を障害者だからしかたないとあきらめる事が身についてきていた私たちだったが、そうではないということが判った。社会が障害者の存在を考慮して組み立てられていれば、障害者である事の不利益は最小限に押さえる事が出来る。その社会はすでに実現しつつあるという事が判ったのである。
 社会を誰もが主体者として生きられる場に変えていくのはどうしたらいいか。生活体験の中から青図面を描けるのは当事者にしかできないことだ。
 障害をもったからこそ、社会の矛盾点が見えてくるし、社会を変えたいと考え、そして行動する。だからこそ、障害はパワーであり、エネルギーなのだと私に教えてくれたのは、自立生活センターの創設者で、カリフォルニア州リハビリテーション局長を務めた事のある、エド・ロバーツ、ポリオによる四肢麻痺の重度障害者で、今は亡き伝説の人である。

自立生活センターの活動

 アメリカの自立生活センターに学び、日本では'86年6月にヒューマンケア協会(八王子市)が誕生、以後新宿、町田、世田谷、立川と誕生し、現在都内21ヶ所を数えるに至り、全国では73ヶ所になっている。これは'91年に結成された全国自立生活センター協議会の加入団体であり、年々の増加は目覚しい。
 自立生活センターの定義は、障害者自身による地域の障害者を相互援助する事を目的とし、与えられる福祉ではなく、必要性の中から作り出す福祉を提案していくものである。これまで福祉サービスの受けてでしかなかった障害者が、受け手であったからこそわかる、欲しいサービスを自ら作り出し、提供していこうとするものである。
 福祉サービスの受け手から担い手へ、又、受け手と担い手の両面性をたたかわせながら、サービスの質を、量を見極めていこうとするものである。
 自立生活センターの代表、事務局長の両方が障害者であること、最高決定機関である運営委員会等のメンバーの過半数が障害者である事など、障害者の当事者組織としての色彩をあえて強く押し出している。活動内容は、介助者の派遣、自立生活プログラムの提供、ピア・カウンセリング、制度や住宅改造などの相談事業、権利擁護のうち、二つ以上のサービスを提供している事を条件としている。以下は筆者が設立から中心に関わってきた、自立生活センター町田ヒューマンネットワークを具体例として記す。

町田ヒューマンネットワークの設立まで

'89年12月、何かしたい人この指とまれの呼び掛けに、障害者6人と障害のない人1人の7人が参加、うち1人は電車車いす使用の四肢麻痺者で、日々の介助者を探すのに苦労しており、組織的な介助サービス機関を創りたいとの意向、また1人は建築家との勉強会を持っており、地域の障害者の住宅改造などの相談業務をしたい、など出され、ここから自立生活センターとしてスタートした。お互いのコンセンサスづくりのために、丁度数ヶ月後に控えていた市長、市議選挙の候補者への質問状作りをしながら、事務所の確保、財源の確保、など体制の準備を進めていった。
 ゼロからの出発をサポートしてくれたのは、市のボランティアビュロー「市民サロン」だった。物置として使われていた一室を月曜から金曜日まで毎日貸してもらい、活動の拠点とし、財政的基盤ができ、賃貸事務所に移るまで使用させていただいた。

町田ヒューマンネットワーク(以下MHN)の活動

1 介助サービス
 家事援助、身辺介助、移動介助など、障害者が日常的に自立して生活していくために必要な介助者を探し、トレーニングして派遣する。有料であり、時間900円と交通費の実費。介助者側には800円と交通費の実費が支払われ、差額の100円は事務手数料である。現在24時間対応をしており、月間2800時間の介助派遣を行っている。

2.自立生活プログラム
 障害者が親許や施設でなく、地域で自立した暮らしをしていくために必要な生活技術を身につける場で、障害を持ち、すでに自立した暮らしをしている障害者がピア・カウンセラーとして関わる。週一回、3ヶ月コースの少人数によるクラス形式のものから、個別の課題に対応する個人プログラムに別れている。金銭管理、日課や生活のリズムの管理、介助者の見つけ方・付き合い方、親との関係、目標の設定、家を借りるには・改造の仕方、福祉の制度の学習など多岐にわたっている。

3 ピア・カウンセリング
 ピア(Peer)とは仲間とか同等のという意味で、障害という共通の体験を通してカウンセリングをする事。
 障害を持って生きてきた事を自分の中で認め(受容)、自信を持って積極的に生きるためのカウンセリング。批判やアドバイスではなく、本人が積極的に自己評価ができるように、よりそい、感情の開放を促していく。カウンセリングを通して、積極的な自己イメージを築き、親許という庇護の場や、施設という管理の場ではなく、自立した生活へ移行できるよう、精神的サポートと具体的な情報の提供を目的としている。ピア・カウンセリングは障害者個人の自立生活を可能にする自己変革と、障害者の側から社会を変える力を育てていく事にある。

4 相談業務
 障害者が自立生活プログラムや、ピア・カウンセリングを経て、自立をしようとする時に、住宅の確保や、改造の仕方などの専門的なアドバイスをしたり様々な相談に応じている。

5 アクセスキャブ(リフト車)の運行
 通院や通所など生活に必要な移動はもとより、生活を広げるため、楽しむために、移動と介助を組み合わせた、戸口から戸口までの移動手段の確保を目的にリフト車を運行している。車いす使用者のドライバーも想定して、手動式運転装置を設置し、リフトはすべてスイッチ一つのオートコントロールで操作できるようになっている。

6 権利擁護
 障害を持って生活していると様々な困難や、不当とおもえる事に遭遇するが、いつも怒ってみても解決の方法は見出せず、自分の中にストレスをためないようにあきらめてしまう癖(生活の知恵)を身につけてしまっている。しかし、障害を理由にした差別や人権侵害である事は多く、個別では泣き寝入りをしてしまう事にたいして、組織としてともに解決の道を見つけていく事を援助するものである。MHNでは障害を持つ弁護士を顧問にして、必要な時は法的措置に訴える事もできるようにしている。

 これらのサービスが主なものであるが、このほかに、自立生活体験室「とりあえずの家」の運営、障害者の親にたいする親プログラム、自立生活体験海外旅行の企画など、自分達が必要と思ったものをプログラム化してきた結果これだけに広がってきた。

運営

 現在は、スタッフ16人(うち障害者12人)で、それぞれの体力や都合で働く日数を決めており、週4日勤務から常勤という扱いで社会保険等にも加入し、事業体としての用件は備えている。'95年度の予算規模は、55,165,221円、'96年度は61,718,362円となっている。財源の大きなものは、東京都地域福祉振興基金からの助成が約2,000万円、'95年度まで町田市から200万円が主たる財源で、他は障害者雇用促進協会から、障害者を雇用する事により得られる助成金などである。
 これだけの規模で、常勤換算(5日勤務)で11人を雇用し、これだけの事業を展開するのは、常に四苦八苦しており、民間の助成財団からの助成金や寄付金など運営にはかかせない。

市町村障害者生活支援事業

 障害者プランの目玉事業として、市町村障害者生活支援事業が創設され、'96年度後半から実施された。

行政との関わり

MHNでは'96年10月から市町村障害者生活支援事業の委託を受けている。全国16ヶ所が受託しているが、社会福祉協議会、更生施設、障害者福祉センターなど、これまでの国の委託先に加えて、はじめて、非営利民間の障害者団体に委託された。ヒューマンケア協会(八王子市)、CIL立川(立川市)とMHNの三ヶ所の自立生活センターである。自立生活センターが、これまで地域の障害者の自助組織として行ってきた活動そのものが、市町村障害者生活支援事業という補助対象になった。
しかし、非営利民間の、しかも障害者の事業体が委託を受けるという事のハードルは高く、厚生省・東京都との粘り強い交渉、地元自治体との調整に費やしたエネルギー、三団体が情報交換をしながら一丸となった、エンパワーメントの結果である。他の13団体の中には、ピア・カウンセリングの言葉すら知らない団体も多く、各地の自立生活センターへの問い合わせや、資料購入の依頼があいついでいる。それらの地域の障害者仲間から、障害者の生活支援事業とは成り得ず、たんに行政のその団体にたいする資金的支援事業になっているとの批判もよせられている。私たちは、それらの声を厚生省まで届け、実質的で効率的な障害者支援事業が行われていくよう、障害当事者の立場から、今後もチェックしていかなければならない。
自立生活運動の中で障害当事者達はこのように力をつけてきた。行政とここまでの関係が作れたのは、自分達が必要としているサービスを自ら作りだし、行政自身がやり切れていない24時間介助を可能にしてきた、当事者こそがニードの原点であるという確信だろう。
これは何も障害者だけの問題ではなく、女性や高齢者など、ニードを持った当事者が主体となって、まちづくりや福祉サービスが提案され、行政はバックアップやサポートに回るべきではないだろうか。

地方分権と福祉の今後

 地方への権限の移譲が審議されているが、まだ私自身には充分にみえてきてはいない。ただ、今年の四月に北欧の高齢者福祉の研修ツアーに加わり、スウェーデン、デンマーク、フィンランドの福祉の状況をかけあしで見てきた。国と県と地域行政が対等で、役割が整然としていた。地域行政は現場のニードから、働く現場からサービスを組み立てていき、独自なやり方に自信を持って取り組んでいるのを感じた。税金が他と比べて少し高くても、サービスの質を求めて移転してくる人は多いとのこと。しかし、道路工事などの海外企業の参入など手段を選ばずコストを押さえ、税率を下げる方向にあるとのことだった(市税率'84年度21.3%、'96年度17.4%)
 これは、デンマークで訪ねたファールム市という自治体(人口18,000人)での実践だが、民間企業の合理化の原理を、行政に意識的に取り入れ、努力を重ねた結果、地方税の軽減、健全な財政、最小限の行政組織を実現している。市民の少ない税負担で高度のサービスを提供する、そのサービスとは、児童の保育施設入所保障、成人の雇用の保障、高齢者施設の利用の保障など、誰もが安心して暮らせる基本である。
 幾つかのナーシングホーム(特別養護老人ホーム)を訪ねたが、寝たきりの人にはお目にかかる事ができなかった。各部屋のベットだけはスタッフが体に無理する事がなく介助が出来るように配慮されていたが、自分の使いなれた思い出の家具に囲まれて、車いすに移り、きれいにお化粧やヘヤーブロウがされた、優雅な老人にお目にかかった。そして母国語ではない英語を使って、私に話しかけてくださった。
 町田市の高齢者福祉のメニューと比べると、ホームヘルパー、デイセンター、送迎サービス、配食サービス、自宅改造、ショートステイ、ケアホーム、特別養護老人ホーム等そんなに変わらない。配食などは、先日見学した町田市内の高齢者施設からのお弁当の方が、栄養のバランスや楽しむ食事という点で高い評価が出来る。しかしどこかが違う、何が違うのだろうか。そこにあるメニューは同じでも、質と量の違いは極めて大きい。
 北欧福祉の三原則は、1.自己決定の尊重、2.継続性の原則、3.残存能力の活用で、在宅を基本とし、保護施設の新設は禁止されている。元気に年を重ねてゆくために、足のケアをするところが小さなコミュニティの単位であったり、ころんで骨折しないために、浴槽に滑り止めの塗料を塗ったり、段差をなくしたり、徹底的に予防に力を入れて、7年で成果が出てきたといった担当者の話を聞いた。
 環境保護、教育などひろい意味での福祉の充実、成熟度が感じられた。その背景には、働く女性が多く、社会的なサービスを広げてきた事や、女性の政治参加など、様々な当事者の声、経験が生かされているのだろう。私たちの地域でもされているのだろう。私たちの地域でもこんな福祉が実現するのだろうか。そのためには、地方自治体が、市民参加により、市民主体の原則に立って、市民福祉の基本構想を創り、実行していく事ではないだろうか。
 行政が、作る側に立つのではなく、当事者の声に耳を傾け、ニード中心に施策を作っていく事から、地方が元気になり市民とともに作る地方自治が動き出す、そんな社会を近い将来に描きたい。


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